料理人の絶望から産まれた、食事付き住宅という光の道

2016年7月26日(火)

現在、弊社「Boarding House」は札幌市内で「下宿一棟」と「食事付きシェアハウス一棟」を運営しています。

どちらも現在は満室で、新規お問い合わせをお断りしてしまう状況が続いております。
 

食事付きシェアハウスは全国で見ても珍しく、札幌ではこのスタイルは確立されていません。
 

この試みには、お客様のニーズに応える、というのは勿論あるのですが、本当の目的というのは【十分なお金と時間とやりがいをもった料理人集団の形成】です。
 
下宿やシェアハウスのような食事付き住宅が増えていく毎に、料理人の笑顔が増え、結果お客様が自然に増えて行く、という未来像を描いています。
 
それはどういう事なのか?自分の生い立ちも含めてご説明させていただきます。

忙しい方の生活をサポートする下宿|札幌の下宿上野

1、調理業界への違和感

私山下は、札幌で生まれて札幌で育ち、勉強が昔から大嫌いだったので、将来は手に職をつけよう!と、決めていました。高校卒業後、北海道では一番有名な調理学校に入学し、専攻は中華を選択、調理現場でアルバイトもしました。
 

卒業後、和食居酒屋へ就職します。結果3年間いましたが、思い知らされたのは調理業界の現実でした。
 

仕事を覚えるまではひたすらがむしゃらに、夢中でやりました。職人の世界ですから、怖い上司や理不尽な上司もたくさんいます。毎日暴言を吐かれ、人格否定までされる日々がしばらく続きました。辛くて辛くて、食事が喉を通らなかった日も数え切れないですが、ひたすら頑張りました。
 

その時の厨房はまだましで、学生の頃に研修でいったホテルは言葉の暴力、殴る蹴るは当たり前何時間もただ立たせていたり、一番ひどかったのは、上司が清掃した床を部下が通ろうとする際に「通行料」としてお金を巻き上げていました。大人のすることでしょうか。

 

頑張れば頑張っただけ、生活や心の充実感は上がるはずだ!と信じていました。しかし仕事に慣れていくにつれて、それに不信感を抱くようになりました。

そこそこ大きいグループだったので、各店の店長や料理長と同席する場が多かったですが、皆、イキイキとか、ワクワクとか、そういう表情をしてる人は一人もいませんでした。

 

集まれば会社の悪口、他店舗の悪口、生活の不満、そんなのばかりです。

 

自分はこれを目標にしてたんだろうか?このままここで一生を終えるのだろうか?朝から晩まで同じことを繰り返して、子供が出来ても寝顔しか見れない生活で良いのだろうか?と、悩むようになり、会社を退職しました。

その後は何の当てもなく、調理業界に辟易したとはいえ自分には調理しかできることがないのは良くわかっていました。

 

2、海外で働き、世界観が変わる

そんな時、知り合いから「NYの焼き鳥屋で働かないか?」と声をかけられました。ほとんど何も考えず、その場でOKしました。刺激と、現状を打破するきっかけが欲しかったんです。
 

結果、この選択は大正解でした。
 

最初こそ言葉の壁に悩まされましたが、住めば都。本当に楽しい日々でした。
 

NYの後にはタイの支店も任され、働きました。やっている内容は焼き鳥で変わりありませんでしたが、環境が180度違います。

海外で強く感じたことは、「人の幸せとは自由であること。その自由を謳歌するために人は働く」という事でした。

日本独特の息苦しさというか、閉塞感のない生活に心底憧れました。

 
「もっと自由に生きていいんだ!」と何かから解放されたような気がしていつか自由な生活を手にいれる、という自分の理想像を思い描くようになりました。

その高揚感を持ったまま日本に帰国し、まずは接客を学ぼうと思い洋食レストランに就職しました(結果調理現場になります)その時点では、勉強しながらお金を貯めて、NYへまた行こうと考えていました。
 

3、お前が独立したって上手くいかない

しかしそこで働くことによって、高揚感も理想像も将来も、打ち砕かれることになります。
 

一年働いて自分の身に染み付いてしまったのは「自分には何も出来ない。料理でも成功しない」という思いでした。とにかく忙しい現場でした。
 

それも、達成感をまるで得られない内容のものが多かったように思います。
 

料理人は所詮サラリーマンなんだと改めて強く思い知らされました。サラリーマンは従うしかありませんから、とにかく自分なりには頑張りました。
 

どんなに理不尽な事を言われようと、自分の力量が足りないせいだと思い込むようになり、自分の仕事にプライドはなく、勿論料理も、毎日も楽しくありません。

 
ちなみに、この時は早い時は朝の7時から遅い時は日付を超えるまで働いて、月給は総額12万円です。交通費無。

自分への投資に充てられる時間などありません。本すら読む時間がありませんでした。

 
それでも、とにかく働きました。頑張っていればきっと、理想に近づく!とにかくそう信じていました。

 
ある日、そんな思いを簡単に壊された出来事がありました。
 

4、天才と出会って自分のレベルを知る

自分の理想像の人間に出会った時です。自身がシェフでありながら、何件もの料理店のコンサルを務め、自分の自由な時間を持つ料理人です。

「天才」と呼ばれる人間でした。

 
名前はよく聞いていましたが、ある時オーナーのツテでうちの店で料理の研修を行ってくれました。

数時間一緒に仕事をしただけで、その凄さがわかったと同時に「この人のレベルにいかなければ理想の生活を実現できないのか」と痛感し、決定的に自分の中で何かが壊れたのがわかりました。

 
自分はあんなに料理現場にいたはずなのに全く仕事の内容についていけない。

 
レシピが想像もつかないような独創性がある上に、うちの店と全く同じレシピで作った料理も別物のように美味しい。

 
普通の人なら、理想の人を目の当たりにした時に「この人みたいになるぞ!」と燃え上がるのかもしれません。しかし僕はそこで絶望してしまったんです。この人になるには努力とかじゃない、と感じました。

 
世の中に何万人という料理人がいて、その何%が自由な生活を送っているのでしょうか?若い時は、自分の店を持つのが料理人としてのゴールだと思っていたし、開業=自由だと思っていました。

 
大人になった今よくわかりますが、飲食業界の開業は決してゴールではなくスタートです。同時にとても険しいイバラの道です。

 
世の中で、毎月何件の店が出来て、何件の店が潰れているのでしょうか?本当の意味で成功している料理人というのは1%いないんじゃないかと思います。

 
僕の成功の定義は、「十分なお金と時間とやりがい」を持つ事です。

 
簡単に表現すると、身の回りを見たときに、楽しく仕事をしながら年に何回か海外旅行に行けて家庭にも還元できている料理人はほぼいないんじゃないでしょうか?

 
ちょっと話が逸れてしまいましたが、そこで僕は調理の道はもう諦めようと思いました。この気持ちでは一生プレイヤーで終わることは明白でした。「お前が独立したってうまくいかないぞ!」と当時のオーナーに言われたことも忘れられません。

 
また退職しました。当てなんてありません。

次の仕事はどうしようか。結局自分は調理業界に嫌気がさしながらもしがみつくしかないのか。

先が見えないままいましたが、生活のためには働かなければいけないので次の仕事を探しながら、実家の手伝いをすることにしました。
 

5、光の道を見つける

実家は祖父と母で下宿を営んでいました。

 
最初はただのお手伝いのつもりだったのですが、結果僕はこれを一生の仕事にしようと決めました。

 
調理師が「十分なお金と時間とやりがい」を手に入れるには、才能と努力の元、開業して店を持つかコンサルの仕事を持つくらいしかないと信じ込んでいました。

 
しかし下宿と出会って確信しました。この仕事は「お金と時間とやりがい」を手に入れられる!正確に言うと、最初に感じたのは時間の自由とやりがいです。その時お金は月10万円しかもらってませんでしたから。お手伝いなので。

 

時間について

下宿というのは、入居者=お客さんなので、毎日の料理を作る数は決まっているわけです。

いつ来るかわからないお客様の為に仕込みをし、在庫を抱え、光熱費を使い、朝から晩まで立っている必要はないんです。

家賃という絶対的な存在は、料理という水商売とは正反対のものです。客単価やその日の客足に左右されることはありません。

仕込みや提供時間以外の時間は自分の勉強の時間に充てました。

 
そしてわかった事は、自分はとっても視野の狭い人間だったこと。社会のことを何も知らなかったこと。

 
どんな職業にも言えることだと思いますが、自分の職業以外の分野の事や社会のことを知り自分のことを俯瞰的に見るというのはとっても大事なことだと思います。それにはやはり時間が必要です。

 

やりがいについて

メニューは自分で作れます。仕入れも自分です。今まで培ってきた技術を惜しみなく使いました。

 
「おいしい!」「今度これ作ってください!」「ここに住んでよかった!」

 
料理人にとって、こんな言葉をいただける以上にやりがいを感じられることはあるでしょうか?

 
僕がお客様から金額をいただいた代わりに提供しているのは、単なる食事ではありません。僕が提供していたのは「住んだ人の人生が充実する空間」です。

 
料理を通してその人の人生を彩ることが出来る。

料理人はそんな力を持った素晴らしい職業なんです。

その力を如何なく発揮できるのが下宿だったんです。

 

あとはお金です。

単純に稼ぎを増やすには、多くの方に入居していただくことです。
 

当時、下宿は3~4割ほど空室がありましたが、マーケティングを猛勉強し試せることは全て行いました。

 
結果、毎年満室。泣く泣くお断りをして、空室待ちをしてくださっている方も毎年何名もいらっしゃいます。

 
2015年には法人として独立し、借金をして一棟を購入し、食事付きシェアハウスとして運営していますが、そこも2016年7月現在満室となっています。

 

6、料理人の可能性は無限大

下宿にこだわるつもりはなく、様々なニーズに応えていきたいです。シェアハウスはそのニーズのうちの一つであって、可能性は無限大です。

 
食事付き住宅は料理人にとって、光の道だと僕は思います。

 
僕は、自分だけが儲ければ良いとは思っていません。

 
僕が身を持ってわかっていることは、世の中には、良い腕と心を持ちながら現場で燻っている料理人がたくさんいるということです。

 
前述しましたが、料理人は人の人生を彩ることのできる素晴らしい職業です。僕が今この仕事をしていて幸せなように、そんな料理人を増やしたい。仲間でいたい。

 
株式会社Boarding Houseの目標は、「十分なお金と時間とやりがいをもった料理人集団の形成」です。

 
料理人はもっと、自由でクリエイティブでいて良いんです。
 
料理で世界を彩りましょう!